魚藤坪斷橋(龍騰斷橋)の続きです。
前回2019年1月に龍騰斷橋まで訪問しましたが、さらに北側にも舊站(旧駅)があるようなので約8ヶ月後の同年9月下旬にさらに足を延ばしてみることにしました。
撮影訪問日:2019/1
921地震遺址シリーズです。
実はこの旧鉄橋、1935年に発生した新竹地震によって使用不能になり別経路の路線が引かれたため、この時点で既に遺構扱いとなっています。
その64年後の921大地震でも橋脚の破損が発生しているため、2回も大地震の被害を受けているということになります。
1999年9月21、南投縣集集を震源とする大規模な地震を台灣中部を襲い、震源に近い南投縣だけではなく台中も大きな被害を受けました。
台湾では921地震以前は過去30年以上の間、大震災クラスの地震は起こっておらず台湾全土に衝撃が走った災害となりました。
921地震教育園區は台中市の中心部からバスで1時間の場所、台中市霧峰區にあります。地震発生当時は台中が直轄市に移行する前だったので臺中縣霧峰鄉でした。
ちなみにこの地域は稲作、リュウガン、レイシ、バナナ、パイナップル等を生産している農村です。