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2020年7月19日日曜日

舊山線旅遊(泰安車站→勝興站→龍騰斷橋)

魚藤坪斷橋(龍騰斷橋)の続きです。

前回2019年1月に龍騰斷橋まで訪問しましたが、さらに北側にも舊站(旧駅)があるようなので約8ヶ月後の同年9月下旬にさらに足を延ばしてみることにしました。

2020年7月11日土曜日

魚藤坪斷橋(龍騰斷橋)

撮影訪問日:2019/1

921地震遺址シリーズです。

実はこの旧鉄橋、1935年に発生した新竹地震によって使用不能になり別経路の路線が引かれたため、この時点で既に遺構扱いとなっています。
その64年後の921大地震でも橋脚の破損が発生しているため、2回も大地震の被害を受けているということになります。

2020年5月17日日曜日

紙教堂 Paper Dome(桃米生態村)

921地震遺址シリーズ… にカテゴリしてよいものか微妙な立ち位置のスポットですが、地震に関係のある施設です。

2020年2月23日日曜日

.玉里社遺址(玉里神社跡)

何となく台東まで来たので、ついでに県境を越えて玉里までやってきました。

この玉里車站は區間車の起終点となっている便もあるので、台鐵で旅行している人は降り立ったことがある人もいるのではないでしょうか。

2016年12月8日木曜日

林本源園邸の現況とアクセス (2017/5/29追記)

2018/5/6 追記
2017/8/1 追記
2017/5/29 追記

林本源園邸
繁体中文:http://www.linfamily.ntpc.gov.tw/
日本語:http://jp.linfamily.ntpc.gov.tw/

大雑把な概要

清統治時代、福建地方から台湾の淡水へ渡来した林応寅は教職を務める。
その後次男の林平侯が渡来し起業、田畑を整備してそれを貸し出したり、林爽文事変により高騰した稲で財を成す。
そして小作料の集積拠点として杤橋(現:板橋)に弼益館を造り、その後色々と増築し林本源園邸に至る。

詳しくは↓辺りのページを参照してください

林園の歴史 | 林本源園邸
http://jp.linfamily.ntpc.gov.tw/xmdoc?xsmsid=0G287436450715068860

旅々台北 [林本源園邸(林家花園)]
http://www.tabitabi-taipei.com/html/data/10496.html

林本源園邸 - 維基百科,自由的百科全書
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E6%9C%AC%E6%BA%90%E5%9C%92%E9%82%B8